現在の浪速区恵美須西あたりには、1917(大正8)年より中山太陽堂という化粧品メーカーの本店と工場があった。社長の中山太一は東洋の化粧品王と呼ばれるほどの大きな企業であった。
中山太陽堂は斬新な広告宣伝で時代を引っ張る文化創造企業であった。上の画像は当時の大正モダンなポスター
中山太陽堂の自社商品の広告・出版のための会社「プラトン社」が発刊した雑誌「女性」は、谷崎潤一郎、与謝野晶子、直木三十五などの豪華執筆陣で大人気となった。
中山太陽堂は現在「株式会社クラブコスメチックス」という会社となり、本社は大阪市西区の阿波座にある。ミュージアムでポスターなどが見学可能である。
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