FEATURED CULTURE IN SHIN-IMAMIYA

CULTURE

萩之茶屋南公園(三角公園)

労働・支援

炊き出し、ライブ、お祭り。様々な活動の舞台

その名の通り、三角形のかたちをした西成区萩之茶屋にある公園。炊き出しやステージを使ったライブ、お祭りまで様々な活動の舞台になっている。また敷地内には街頭テレビも設置され、この公園の名物として知られている。


釜ヶ崎夏まつり

三角公園で催されている活気あふれる夏まつり。釜ヶ崎に集う労働者にとって、いわば、ふるさとでのお盆のような行事として親しまれている。夏まつりの期間中、公園には祭壇が設けられ、最終日には亡くなった多くの仲間の追悼も行われる。ステージパフォーマンス、釜ヶ崎の労働者が主役の労働者名人会、のど自慢、スイカ割り、つなひき、相撲大会、盆踊り、たくさんの手づくり屋台など、夏まつりの催しは釜ヶ崎労働者、地域の住民、支援者などたくさんの人たちの参加により釜ヶ崎の文化としてすっかり定着している。当日はとてもオープンな雰囲気で誰でも楽しめる。

1972(昭和47)年の第1回以来、第48回まで毎年途切れることなく続けられてきたが、新型コロナウイルス感染症の世界的感染拡大の影響をうけ、第49回は中止になった。まつり自体は開催されなかったものの、三角公園には慰霊のための祭壇が設けられ、亡くなった仲間たちの写真や名前が掲示された。


釜ヶ崎越冬闘争

毎年、年末年始の冬季は、凍死者や餓死者を出さないための「越冬闘争期間」とされている。釜ヶ崎越冬闘争は1970年~1971年(昭和45年~46年)に「仲間による仲間の為の越年対策」として始まり、以後毎年継続されてきた。
万博が終わった1970(昭和45)年の年末、仕事がなくなり行政機関も一斉に休みに入ると、釜ヶ崎では多くの日雇い労働者がドヤ(簡易宿所)から路上に投げ出される事態が生じた。この状況に有志たちが「釜ヶ崎越冬対策実行委員会」を結成し、炊き出しや集団野営に取り組んだことが越冬闘争の始まりである。越冬闘争は49年間、その時代の課題と取り組みながら一度も途切れることなく今も続けられている。



MAP


西成区萩之茶屋3丁目7