FEATURED CULTURE IN SHIN-IMAMIYA

CULTURE

四天王寺

寺社仏閣・史跡

聖徳太子が建立した、日本最古の官寺

新世界から国道26号線をあがると、大きな鳥居が見えてくる。鳥居をくぐり、大門をくぐると、美しい五重塔が見える。総面積3万3千坪、甲子園球場の3倍の広さの境内は、都会の真ん中と思えないほどに広い空と、美しい建物と、歴史が息づいている。

四天王寺が創建されたのは、今から約1400年前の593年(推古元年)。587年、仏教の礼拝をめぐって、物部守屋と蘇我馬子が対立していた。崇仏派の蘇我氏についた聖徳太子が形勢の不利を打開するために、自ら四天王像を彫り、戦いに勝利した際は四天王を安置する寺院を建立しこの世の全ての人々を救済すると願った。それが通じたのか、戦いに勝利し、聖徳太子はその誓いを果すために、四天王寺を建立した。四天王寺は古くから、現在にいたるまで、宗派や時代を超えて広く信仰を集め、「太子信仰」の聖地となっている。

四天王寺式伽藍


極楽門をくぐり抜けた先には、南から北に向かって中門、五重塔(過去)、金堂(現在)、講堂(未来)が一直線上に並び、それを回廊が囲む。この建築様式を「四天王寺式伽藍(がらん)」といい、日本で最も古い建築様式となっている。


今に残る古代の建築様式

1934(昭和9)年、近畿全域を襲った台風によって五重塔が倒壊、金堂は傾斜破損、仁王門も壊滅するなど、境内全域が相当な被害を被ったという。1940(昭和15)年、努力のすえに五重塔が再建されたが、それも束の間、1945(昭和20)年の大阪大空襲により、境内のほぼ全域が跡形もなく焼けてしまった。
当時は度重なる戦火や災害に見舞われ、多くが焼失したが、現在の建物は創建当時(飛鳥時代)の様式を忠実に再現していて、古代の建築様式が今に残るのはとても貴重と言える。境内には創建当時の品々など500点あまりの国宝・重要文化財を見ることができる宝物館もある。

様々な行事

毎年お盆の時期に行われる万灯供養

舞楽法要「経供養」

四天王寺骨董市

四天王寺骨董市


年間を通して様々な行事があり、特に毎月21日の弘法大師の命日、22日の聖徳太子の命日には骨董市が開かれ、露店が立ち並ぶ、掘り出し物を探しにいこう。22日は聖徳太子の月命日であり、絵堂と中心伽藍が無料開放されている。


日想観と四天王寺

その昔、四天王寺の西側には海が広がっていた。仏教では極楽浄土は西方にあるといわれ、四天王寺の西門の鳥居は極楽浄土の入口であると信じられていた。毎年、春分と秋分の日に、鳥居の真ん中に夕日が沈む。これを拝んで極楽浄土を観想する伝統行事が日想観である。四天王寺の西方にある新今宮ワンダーランドに沈む夕日を見て極楽に思いを馳せて欲しい。


MAP

天王寺区四天王寺1−11−18