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新今宮にホルモン料理屋が多い理由は? 安くて旨いお店がたくさんあるのはどうしてだろう? この街の食のルーツを辿れば、街の歴史が見えてくる。
この街を観察し続け50年、元日雇い労働者であり、地域史研究家の水野阿修羅さんに労働者が愛した「新今宮の食」についてお話を伺った。

新今宮にホルモン料理屋が多いわけ

新今宮にホルモン料理屋が多い理由は、戦前からこの辺りにあった食肉処理場が関係しています。食肉処理場があれば、当然そこにはホルモンが出るわけです。それを朝鮮半島から渡ってきた人たちが調理し、食べだしたというのがこのエリアのホルモンの始まりです。朝鮮文学者の金時鐘(キム・シジョン)さんが自分の文章の中でホルモンは朝鮮人が食べ始めたと書いていますね。語源については「放るもん」から来ていると話していました*。いろんな説があるんですけど。西成の場合は近くにもともと食肉処理場があって、それがその後、津守に移って今は南港に移ったという歴史があります。

注釈* 現在では「イギリスの生理学者が十二指腸から分泌され、遠く離れた器官にも影響を及ぼす化学物質を発見して命名」したことがほぼ定説になっています。

水野阿修羅(みずの・あしゅら)さん

では、新今宮のホルモンは朝鮮がルーツなのでしょうか?

この街にある昔からのホルモン屋は朝鮮系か沖縄系のどっちかです。今、特別養護老人ホームになっている並びには、昔は小さな店がずらっとあって、沖縄料理屋やホルモン料理屋がたくさんありました。そこで沖縄そばとホルモンが食べられて。労働者にも商売する人にも沖縄出身の人が多かったです。

沖縄系の煮込みホルモンが人気の「ホルモンうどん きらく」

あの頃、初めて食べたホルモンは

私がホルモンを初めて食べたのは70年代。屋台で食べました。当時は本当に安かった。たしか1串10円くらいだったんじゃないかな。「やまき」と「きらく」が人気でした。今、特別養護老人ホームが建っているところにあったホルモン屋も人気でしたね。やまきは今の店のかたちじゃなくて、軽トラックの屋台でした。路上で改造した軽トラックに鉄板を置いて焼いているスタイルで、客はトラックの周りに立って食べる。串の本数を数えて会計をするんですけど、串を落としてごまかす人もいました。それも店側は承知でやってたんちゃうかな。それを見つけて怒っている風景を見たことないから(笑) トラックは3台か4台ありましたね。そのうちの一人が今のやまきのマスターです。太子の大通りに出るホテルサンプラザⅡの前とか、ションベンガードの横、今池の通りに出る西側とか街のあちこちに屋台がありました。銀座通りにも出ていた気がするなあ。1台の車が移動していたのかもしれないけど、私の目には3,4台あるイメージでした。何台あったのか一度聞いたことがあるんですよ、今のやまきのマスターに。そしたらごまかされてしまいましたね(笑)

当時のお店は今でも残っているんですね

私が釜ヶ崎に来たときには、やまきの他にもきらくも「権兵衛」もありました。きらくは私が来たときからずっとあの場所にありますね。その前はJRガード下の権兵衛があった場所の向いにあったみたいですけど。「岩田屋」も煮込みホルモンをやっていましたね。権兵衛と岩田屋ときらくは戦前からJRのガード下にあったと聞いています。

労働者の食生活はどのようなものだったのか

昔はあいりん総合センターの2階に食堂がありました。もともとそこの食堂は、南海線の西側の路上にずらっと並んでいた店だったんですよ。

あいりん総合センター(閉鎖中)

朝はセンターの2階で食べて、昼は現場で弁当や近くの食堂に行ったりしてました。ジャンボおにぎりを買って行くこともよくありました。夜は帰ってくるといろんな食堂に行きましたね。焼肉屋もあれば、うどん屋もあれば、大衆食堂もいっぱいありました。食堂も喫茶店も今や激減してしまいましたけど、みんな朝から喫茶店に行っていました。この街の喫茶店は朝からビールが飲めたので。逆に居酒屋でモーニングサービスなんてのもありましたよ。今は減りましたけど中華料理屋も安い寿司屋もたくさんありました。コンビニが増えたのが原因かな。喫茶店も食堂もどんどん潰れてしまった。コーヒーが自動販売機で買えるようになったのも大きいですね。

その中で思い出に残っているお店はありますか?

今も「大寅食堂」という店がありますが、当時そこの焼きそばが安くて。私は高校生の時に一度この街に来ていて、オリンピックの次の年だから65年ですね。その時に大寅食堂で食べた焼きそばが30円だったんですよ。それはものすごい印象に残っていますよ。安くてボリュームがあったので労働者に人気でした。これにも載ってるんじゃないかなと思って持ってきたんです。

労働者の雑誌、めし屋人気投票(75年10月号)

雑誌のアンケートでめし屋の人気投票があって、1か月で51票集まったみたい。トップはだんご汁屋の「しんぺい」(現在は閉店)ですね。

牛めし屋は並200円、大300円。おかゆ屋さんもいっぱいありました。あ、このおでん屋は今でもありますよ。おにぎり屋も多く載ってます。おにぎり専門店や寿司屋がたくさんあったのもこの街の特徴です。ほらここ、胡麻を振った塩にぎりが1個40円と書いてありますね。おにぎりと言えば、新今宮の南海線の近くに今も「ジャンボおにぎり」と看板だけ残っています。ごっついでかいおにぎりで、それ1個でお腹いっぱいになるんです。「マンプク弁当」にもあったり、今でも「スーパー玉出」でたまに売ってますよ。

雑誌の口コミがあるように、労働者同士の交流は盛んだったのでしょうか

そうですね、昔は友達を持っている労働者が多かったんです。最近は労働者同士がつるまなくなったから、一緒に喫茶店に行って話をすることも滅多にないですが。逆に三角公園でいろんなグループが出来ているのは、あそこに行けば誰かがいて、気が合えば話ができるから。余裕がある人がみんなに缶コーヒーやお酒を買って配っているのも見ます。昔からここは路上での交流がある街なんです。

阿修羅さんもグループで食事を?

私はホルモン料理屋には基本的に一人で行きます。行った先に知り合いがいれば話もしますけどね。仕事仲間だった人たちです。私は鉄筋工の仕事をしていたので、昔は仕事帰りにそのまま車で焼肉屋の前に乗り付けてパーっと飲んでいました。バブルの頃は親方が焼肉に行こう行こうと誘ってきてね、無論親方の奢りで。これは労働者を引き留めるための人気取りの焼肉です(笑) そのくらい儲かっていたんだと思います。儲かったと言えば、大阪と和歌山の境目のトンネルをくぐった先にニュータウンができて、その工事をしたとき。私は鉄筋工だから鉄筋を組む技術があるわけです。それが重宝されて、当時は階段を1つ組むと日当とは別に1万円もらえましたよ。だからもう階段を組んで組んで組みまくりましたよ(笑)

コロナ禍の新今宮ホルモン事情

最近、権兵衛が新世界市場に移転したので食べに行きました。ガード下にあった頃と同じ味でしたよ。酒類提供制限のルールもしっかり守っていました。「マルフク」はお酒が出せないので、お持ち帰りというかたちで営業しています。 

マルフクのお客さんは、昔は労働者が夜にグループで食べに来ていたけど、今では仕事帰りの労働者がパラパラと少数ですね。だから夜の方がヒマなんじゃないかな、昔は夜が忙しかった。みんな仕事に行ってましたからね。でも最近は夜がガラガラ。労働者が減っていることを反映していますね。

この街をはじめて訪れる人におすすめのホルモン屋はありますか?

落ち着いて食べるのであれば椅子のある権兵衛やきらくですけど、雰囲気を味わうのであれば立ち食いのやまきとマルフクですかね。でも、行列は私たちが若い時にはありえなかった風景。ホルモン料理屋ってのは仕事をしている人が食べるもので、もうちょっと金があったら焼肉屋行こうやという感じでしたから(笑)今の人たちはどういう感覚なのか聞いてみたいですね。でもネットでも広がってるってことは、美味しい証拠じゃないかな。

 

新今宮とホルモン、老舗店主が見つめる先

ホルモンマルフク社長 穴蔵正明(あなくら・まさあき)さん

ホルモンマルフクの始まり

昭和58年くらいに今と同じ場所で店を始めました。なぜここに店を出したかと言うと、それは仕事があって、くいっぱぐれがない場所だからです。難波や繁華街の半分くらいの費用で店が出せました。その頃のお客さんはほとんどが労働者。みなさん仕事の帰りに寄ってくれる感じです。

マルフクを始めてから、どのようにこの街と関わって来ましたか?

まず、ここは少し特殊な街です。当時のお客さんは90%以上が男という印象で、ほんとに男ばっかりの街でした。この辺りはいろいろと事情がある人もいたから、身の上話も、詮索も特にしません。一人でも気楽に飲める場所を提供する。それだけです。昔からここは誰でも受け入れる街ですから。

でも最近は若い人もよく来るようになったので、常連さんは少し入りにくくなっているかもしれません。とは言え、来るもの拒まずです。どなた様でも分け隔てなく歓迎します。

この街のホルモンとは

お客さんはホルモンをどんな風に楽しんでいましたか?

ホルモンは労働者の人にとってつまみ的な存在。みんなここで一杯ひっかけて、次のめし屋に行きます。ホルモンの価格は当時100円で今は160円。値段の感覚としては上がっていないと思います。みんな仕事があって稼いではいたから、食べ物に困っている人は少なかった印象です。

でも、食い逃げはありましたね(笑)前は食い逃げの客を追いかけたら、その間に何人にも逃げられたりしました。今はそんなことはないです。福祉も進んでいますし、食い逃げをするような人もいなくなりました。

最近は客層も変わったと聞きますが、ホルモンは今若者にも人気ですよね

一言で言うと、時代遅れのものが戻ってきたんですよ。スーパーでもコンビニでももつ煮込みが買えるようになったでしょう? 時代にマッチしはじめたんです(笑)コンビニのは少し味が薄いですけどね。この店に来る人が増えたのは、街の治安が良くなったり、交通の便が良かったりするのも関係しているかもしれません。

ここのホルモンは、なぜ味が濃いのでしょうか?

この辺りは力仕事をしていた人が多かったので、味が濃いものを好んで食べたがるんです。ホルモンだけじゃなくて、なんでも味が濃い。他の街とか、ええとこに行ったら薄い味ですけど、ここじゃそれはあかん。

だからタレにこだわっているんですね

そうですね、うちのこだわりは「いりこ」です。これは韓国風で、韓国ではいりこ(煮干し)で出汁を取ります。日本はカツオで取るのが普通ですけど。いりこの方が油が出て美味しくなるんです。この辺りのホルモンは韓国系だけでなく沖縄系も混ざってますが。いろんなルーツがありますが、どの店もタレにこだわっていると思います。

濃い味付けのタレだけでなく、スタミナが付きそうなイメージも人気の理由でしょうか

うーん、どれもタンパク質は豊富ですけど、栄養を摂りたいというよりも、旨いから食べたいって人が多い気がします。でも一度、すごく昔の話ですけど、いろんなホルモンを放置して、ネズミが何を食べにくるかなと試したことがあるんです。そしたら真っ先に肝(レバー)を食べました。体にいいんでしょうね(笑)

このパックも、手軽に食べられるのが良いですよね

それもありますが、プラスチックパックを使うのは、これが一番衛生的だからです。時代には合わないかもしれないですけど、これが一番いい。もともとこの辺りは結核が多かったり、人の口がつかないものの方がみんな安心するんですよ。もちろん食器を洗って使いまわす方が店のコストは安い。どんなに高い食器を買ったとしても安いんですけど。お箸も割り箸、使い捨てパック。提供スタイルにもこの街に独自の特徴があります。

ホルモン屋、そして街の変化

目立つのは街の高齢化です。労働者もかなり減りました。昔はめし屋も多かった。約2万人くらいの人が食べたり飲んだりするのを満たさないといけない。人口減少によってホルモン屋もかなり減りました。そこに食を提供する役目を終えたという印象です。

ここは日本の将来の姿ですよ。この街が少し早いだけで。

街が変わりゆく中で、マルフクさんは今後どんなことを考えていますか?

時代に適応していきます。仕組みを作ったらやっていける。仕組みというのは、シンプルですが、固定費・売り上げを調整してやっていくということです。

ここの雰囲気が好きな人もいますからね。今後も同じようなスタイルでいきますよ。店前で焼いて、煙のにおいで広告する。ホルモン屋の打ち水です(笑)

美味しいホルモンと、いいお酒を出す。これは変えないつもりです。今でもお酒は「安くて悪い」じゃなく、できるだけ良いものを「安く」提供するようにしています。その方がお客さんは喜びますから。自分が反対の立場になったらどうだろう?と考えたら当たり前のことです。人の立場に立って、ためになることを考える。それをこの街で続けていきます。

 

いってらっしゃい、おやすみ。
この食堂はある意味、お客さんの生活のひとつです。

大寅食堂 松井猛祥(まつい・たけよし)さん

この場所にうちが店を出したのは約50年前です。先々代が兄弟で、区画整備の時に兄弟で店を分けた聞いています。あっちは焼肉専門ですが、うちはいろいろやってます。

松井さんが大寅食堂を引き継がれたのはいつ頃ですか?

先代(父)から引き継ぎました。36年くらい前、自分が11歳の時に親父が店を引き継いで、その頃から店の手伝いはしていました。

当時の街の様子はどうでしたか?

あの頃はバブルの建設ラッシュでしたから、お客さんも建築関係の日雇い労働者が多かったです。当時はみなさん元気で、歴史的に言うと、万博後の高度経済成長期ですね。仕事がたくさんあったので小銭稼ぎの学生なんかもこの街によく来ていました。来たら一日働けて、日当が貰えましたから。年齢層は今と比べるとだいぶ若く、30代前後がメインでした。

みなさん働いた後に食堂に来るのでしょうか

仕事後と仕事前にいらっしゃいます。基本、親方が労働者を連れてきて全員分食事させる。あるいは手配師と呼ばれてた人が、朝みんなに飯を食べさせる。「今から現場行くから飯食っとけ!」という感じです。朝5時くらいに手配師が声をかけて、6時に車が出るので、それまでに食べる。当時は朝、定食はやってなかったのでご飯とみそ汁と卵焼きを出していました。

朝食は何時から食べることができますか?

今は朝5時から13時、17時から21時まで営業しています。(※2021年12月現在は8時開店)仕事は朝から始まるので、食堂の朝も早いです。ビルの解体なんかは夜に行われますから、夜勤明けの晩酌を朝5時からする人もいます。

よくこの街の人は朝から酒を飲んでいると言われたりすることがありますが、仕事を終えて来ているんです。仕事もせずに朝から飲んでいるというのは誤解です。

人気メニューの焼きめしを調理する松井さん

当時と今では、客層は変わってきているのでしょうか?

今でも労働者の方はよく来ます。親方と一緒に来てくれたり。高齢の方でも、同じ会社の人と来たり、ひとりで来てくれたり。一時期海外の方も増えましたね。

親方と労働者がグループで来て、ぱっと食べて次行くぞ!というのが昔。バブルの頃はみんなお金があったから、少し高いものでも食べていました。例えばタラバガニを仕入れたときは1本2000円もらいます。それでも払う人がいました。高くても払えるし、食べる元気があった。今はそうではないですね。

今はどんなメニューが人気ですか?

グループで来る人には鍋が人気です。今はみなさん歳を取った分、食べる量は減ってますが、高齢の方には定食が人気です。内容というよりも、「500円の定食」という注文をされます。

現状で言うと、生活保護を受給している人など、働けなくなった人の方が多くなっています。ただ昔もケガや病気で仕事が出来なくなってしまう人がいました。そういう人たちにとっては今の保障は助かっていると思います。

お客さんとの関わりで心がけていることはありますか?

「いってらっしゃい、おやすみ」これが基本です。朝にご飯食べてってくれて、帰ってきて一杯飲んでもらって。朝6時には仕事終わって帰ってきた人には、おかえりと言って、日が照っているのにおやすみと言って帰らせますからね。その一言一言の返しです。

みなさん、どのような様子でご飯を食べていらっしゃるんでしょうか

テレビ見ながら晩めしを食べて帰る人もいます。店に来たらほっとすると言ってくれる人もいます。この食堂はある意味でお客さんの生活のひとつだと思ってます。なので、うちの店は「今日はここに行ってみよう、明日はここに行こう」という難波にあるようなお店のスタイルではないです。

生活に密着した食堂なんですね

そうですね。ですから、物珍しさに来てもらうのは正直どうかと思います。無断で写真を撮られるのも落ち着かなくなります。住んでいるジャンルが違うだけで、ここはふつうの食堂で、ふつうの街ですよ。面白い、一風変わった街だとは思っていません。

なので、ここに来て「おっちゃん、ビール飲むか?」と突然声をかけるのは良くない。フランクを勘違いしているのではないでしょうか? 誰でも話しかけられるで!みたいな。ほっといて欲しい人もいるので、それは一方的な押し付けだと感じる人もいます。

この街に初めて来る人に何を伝えたいですか?

釜ヶ崎、あいりんだから何してもいいってわけじゃない。ハメを外していいわけでもない。ここで生活する人へのリスペクトを大切にして欲しいなと思います。

そのためには、街に対する前提を踏まえてから来てもらう、ということが大事な気がします。街の悪いところも、良いところも。こういう人たちがいてこういう場所があるというのは分かって欲しいし、分かった上で自分で考えてみて欲しい。このサイトで表面的に食べ物を紹介しても、街に対する理解は深まらない。だから私は食べ物の紹介であればいつも取材はお断りしているんです。根本は解決しないので。

でも、初めて店に来てくれて、ありがたいことに美味しいと言ってくれる人もいます。

コロナでお酒を出せないよと言っても、それでも来てくれるお客さんもいますし、10何年ぶりに来てくれる人もいる。お客さん同士がふとしたきっかけで仲良く話しているのを見かけるのもとてもうれしい。繰り返しですが、人と人との、お互いのリスペクトが大切です。

新今宮のソウルフード・ホルモン

鉄板焼き、もつ鍋、煮込み、うどんなど多様なホルモンの世界をお試しあれ。

ホルモン

監修・協力:西成情報アーカイブ